新しく生まれた整体師の道の続き

介護と仕事の両立

整体の仕事にも慣れ、紹介を通じて少しずつ発展してきた整体治療院。 しかしその後、母親が歩行困難になりました。もともと私が整体師になることが反対だったため、仕事には協力的ではありませんでした。

介護に時間が取られ、仕事どころか自分の寝る時間まで無い状態になりました。

今まで整体施術で実施してきた研究が大学にも認められ、兼任講師依頼の話も入ってきました。 紹介やホームページでの来院も少しずつ増えてきました。

「仕事がしたい・・・のどから手が出るほど時間がほしい・・・・」

介護と言うのは想像以上に大変なことです。
体力は限界になり、整体師でありながらギックリ腰を繰り返していたら、自身の身体も駄目になってしまいました。
結果として予約を断ることも、部屋を留守にすることも多くなりました。

こんなことをしていたら仕事は発展しません。
患者数は激減!今まで紹介して下さった方も私のもとを去り、二度と戻ることはありませんでした。
たくさんの方々にご協力いただき、自分自身の道も切り開けてきたにもかかわらず、整体研究室は開業時の様に静かになってしまいました。

「これから先どうしたらいいのか?」

全く分からず途方にくれる状態でした。

再びエンジニアとして

辛いときいつも想い出す言葉があります

「たとえどんな仕事に就こうと君はエンジニアだ!機械工学を忘れてはいけない。」

「必ず技術士になれよ!最後まで応援するぞ!」

亡き技術士の先生のお言葉でした。

技術士とはエンジニアの国家資格です。
簡単に言うと

「科学技術に関する高等の専門応用能力必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価、またはこれらに関する指導、業務を行う人」

と言われています。

「技術士・・・技術士か・・・」

以前行っていた受験勉強が、懐かしく思い出されました。

そんなとき・・・あの震災が!

平成23年(2011年)3月11日・・・・
大地震と大津波により、壊滅的な被害を受けた街を見たとき

「自分がこれからどのように考え、どのように行動して行けば良いのか?」

真剣に考えさせられました。

技術士・・・・ エンジニアとしての国家資格、 昔何度か受験したことがありました。
意外と大変な試験で、当時は合格することはできませんでした。
もうすっかり忘れていました。
それが大震災の光景を目のあたりにしたとき、再び技術士への思いが燃え上がるのを感じました。

「もう一度受験してみないか?」

大学の方に言われました。
しかしこれはエンジニアの資格です。
現役時代にも合格できなかった試験。整体師となった今、合格できるはずありません。

しかし・・・

整体師として初めて挑む技術士第二次試験

「もう一度試験を受けなさい。」

いつも世話になっているからと、母親が講習会の受講料を出してくれました。 今でも忘れられません。
親心を胸に抱きしめながら「試験突破」のための講習会を受講しました。

技術士になるには「技術士第二次試験」に合格しなければなりません。
論文中心の試験(当時)で

「自分がどのように技術的な問題点を解決したか?」

を書く事が必要です。当然論文は指導者の方に、厳しくチェックされます。

「篠崎さん!当たり前のことを論文に書いてはいけません。試験官は上手です。我々以上に知識があります。」

「それではどうすれば良いのでしょうか?整体師となった今ではこれ以上のことは書けません。」

「では今までどのように整体の患者さんを診てきたのですか?」

「ロボット工学と画像処理工学を応用して・・・・」

「そうです。それでいいんです。それを論文に書いてください。」

「・・・・・・」

「試験官に”こんな方法もあるのか!”と思わせることです。」

そうです。今まで患者さんとともに悩んできたことを論文にすればいいのです。
技術士試験の論文の様に整体業務をして行けば、治療技術改善にもつながるのです。

「技術士の試験勉強が、そのまま患者さんに役立てる。」

ようやくそれに気づきました。
介護と仕事のはざまに悩みながらでしたが、受験勉強自体は楽しくなってきました。

試験はそれから2か月後に実施されました。
機械部門のロボットで受験しましたが、私の解答論文は本当にひどい内容でした。

例えば問題に
「ロボットの関節について述べよ・・・」
の解答に

「人体の肩関節をロボットと置き換えて考えると、この様になり、五十肩になるとこの様な動作になる。
よって五十肩を解析し、改善させるには・・・」

とまぁ~エンジニアとしては程遠い論文になってしまいました。

論文は3題ほど出題されましたが、その他の論文にも股関節痛や、運動時の重心バランス等を書き、本当に前代未聞の技術士試験の論文だったと思います。
当時の試験官も、かなりビックリされたと思います。

「こんな解答で良いのかな?」

疑問はありましたが
「どうせ合格はしないのだから、思い切り自分の考えを述べてやろう。」
開き直って試験に挑んだのです。

しかしそれから2か月後、秋も深まる10月下旬の事です。

「筆記試験合格」

の知らせを受けたのは・・・・

「えっ!合格?」

キツネに摘ままれたようでした。

その知らせには、講習会の指導員の方も大変喜んでくれました。

あんな論文で本当に良かったのか?
今でも疑問ですが、合格は本当に嬉しかったです。
今まで苦労ばかりが続いた整体師の道でしたが、新しい光を見つけたように感じました。

「あと一息だ!もう少しだ!頑張ろう!」

新たな決意が生まれました。

しかし技術士試験突破の試練はまだまだ続きました。

神も仏も・・・

筆記試験に合格すると、次は「口頭試験」(面接)が待っています。
受験生が

「技術士としてふさわしいか?」

を問われる試験です。
この試験に合格して、初めて技術士になる資格が得られるのです。

私の筆記試験合格が大学の先輩の耳に入り、口頭試験突破のための講習と、模擬面接試験を受けることになりました。(汗)
講習は非常に厳しく、結果として「×」と大目玉を食らうありさまでした。

私の口頭試験は12月!あと一か月あまり、時間がありません。
介護で大変でしたが、整体の仕事はほとんど無かったので、勉強に打ち込むことができました。
面接の勉強は家族はもちろん、近所の方や患者さんまで巻き込む大変なものとなりました。

12月に入いると、街はクリスマスや年末の雰囲気が徐々に出てきたました。
空は雲一つなく、青く晴れわたっていた記憶があります。

試験を実施する部屋の中には二名の試験官。 厳しそうな人でした。

「どんなことを聞かれるのだろう・・・なぜ整体師がここに?と思われ、かなりの質問攻めに合うだろうな・・・」

そんな気持ちもありましたが、覚悟の上でした。

予想通り質問や問題は厳しいものでした。
答えられなかったり、間違えて答えたりしたら厳しく指摘されました。

「あなたが技術士になったらそんな事ではダメだ!」

しかし今まで
「無駄になっていた。」
と思っていた研究が、ここで力を発揮してくれました。

試験官の質問は私の技術力だけではなく、エンジニアとしての心構えまで聞かれる厳しい内容でした。
私が真剣に取り組んできた整体治療技術は、エンジニアとしても決した恥ずかしくない内容だったのです
徐々に手ごたえを感じ始めました。

その時です。信じられない事が目の前で起ったのは・・・・・

何と試験官が亡き先生とダブってきたのです。

「必ず技術士になれよ!最後まで応援しているぞ!」

いつも言ってくれていた先生です。

「あっ!先生・・・・・」

そんな言葉が出そうになりました。

このことを話すと多くの方が
「見守りに来てくれたんだよ。」
と言ってくれました。

違う!

先生はそんな生やさしい人じゃない。そうじゃない! 先生は

私がきちんと勉強してきたか?
真面目に努力を積み重ねてきたか?

試験官の身体を借りて見に来たのです。 きっとそうです。

「先生・・・やっとここまで来れました・・・技術士になった姿を一目見ていただきたかった・・・
よし!それならば先生に答えるつもりでやってやる!」

試験も終盤にかかった頃で、私のラストスパートでした 。
厳しい試験官でしたが、最後は私の解答に静かにうなずき、終了しました。

試験終了後、家に帰っても落ち着かなくて、無意識に街中を歩いていました。

「先生が見に来た・・・」

そんな思いがこみ上げ、涙がこぼれてきました。
もう試験の合否など頭から消えていました。
ただ全力で試験に打ち込めた満足感だけでした。

神や仏は、努力に努力を積み重ねたとき、初めて力を貸してくれる・・・・ この日以来私の口から「神も仏も無い。」と言う言葉は発せられなくなりました。


「技術士第二次試験合格」

の通知を受け取ったのは、それから3か月後の事でした。

しかし技術士としての新しいスタートは、どん底からの出発でした。

技術士の力と実力を整体に!へ続く

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